すいかのまわり道

凸凹な私の『子育てと自分育て』の記録。このブログは広告を含みます。

自分を知る(まだ抜けだせない私、一旦おしまい)

 

 

 

『コロナ鬱かなと思って来たんです。落ち着かなくて』

 

 

 

日頃の様子、ここに来た理由・・・

 

聞かれたことに順を追って話しているつもりだけど、

うまく伝えられていないのが、わかる。

要点を、何が言いたいかを、うまく伝えられない。

 

 

 

諸々話した後、

 

『多分、コロナ鬱では無いと思います。発達障害の方だと思いますよ』

 

 

 

ハッキリと言われた。

 

 

 

え、これだけで?

何を根拠にそんな言い切れるの?

 

 

 

 

次の診察でも、私は反発心が拭えず強気だった。

 

 

 

判断基準は何?

何が発達障害に該当したのか?

私は何をすればいいのか。

 

 

 

『そうやって、白黒つけようとするところもです』

 

 

 

またハッキリと言われる。

 

 

 

『自分と折り合いをつけながらやっていくしか無いんですけど…薬もありますが、ご自身で納得がいかないようでしたら検査されますか』

 

 

 

なんて、アスペルガーのお手本のようなドクター。

冷淡だけど、悪気が無いことはわかるよ。

 

 

 

 

検査の予約をした。

 

 

それまでに、

 

自分の生まれてからのこと

家族のこと

記憶にある出来事

その時の自分の感情

周りから見た自分の印象

 

これまでのすべてを書いてくるよう言われた。

 

 

 

覚えていない、ほとんど。

電話して、聞くしか無かった。

 

 

幼なじみのおばちゃん

中学の同級生

高校の同級生

専門学校の同級生

元職場の上司、同僚

バイト仲間…

 

 

 

上司なんて年賀状のやりとりだけで10年ほど会ってもいなかったが、電話を喜んでくれた。

理由を話し私との思い出、私について聞いた。

 

 

 

『仕事でちょっと必要になったので、

私の生まれてからのことを覚えてる限り教えてほしい』

 

母には、理由は言えなかった。

 

心配症の母が神様に祈る事柄がひとつ、増えるだけだから。

 

 

 

A4用紙裏表10枚ほどになった自伝を持って、検査に向かった。

 

 

 

様々な検査を受けその後心理士さんと、私の過去から現状について話した。

 

『これ以上は、思い出せそうにないですか?』

 

 

旧友たちに電話して、うすうすはわかっていた。

極端に覚えている量が、少ない。

 

話しながらこらえきれず泣いてしまう、子供よりも記憶力悪いじゃない。

もう、結果はわかってる。

 

 

 

1ヶ月後、検査の結果を聞きに訪れた。

 

 

 

 

『発達障害かどうかを判断出来る検査というのは無いんです。なので一般的な数値に比べて、ということになりますが。』

 

 

何度か聞かされている。

心理士さんがティッシュを渡してくれる。

 

 

 

『一般的に25以内に収まる数値が、あなたは50ほどあります。こんなに開きのある数値もなかなか無いんですけど…ADHDとアスペルガーの発達障害ですね。』

 

 

 

グレーではなくクロ、しかも漆黒…

 

 

 

 

1番数値が低かったのは、

置いてあるカードでストーリーを作る検査。

(検査を受ける方が先に知ると影響があるみたいなので、敢えてざっくりと)

だんだん枚数が増えていく。

 

 

その『ストーリーの組み立て』が著しく低い値だった。

検査時も、『この順序でよいですか』と確認されたが、

私の中では整合性がとれていて、なんの疑いも持たなかった。

 

 

 

『独自の解釈で物事を捉えています。

周囲とのやりとりの中でも齟齬が生じているんじゃないですか』

 

 

 

 

・・・あぁ、そうかもしれないな

 

 

 

 

数値が低いなら、正解はどんな順番なのか。

 

『正解不正解は無いんです。一般的に多くの人が、こう思うものと違った捉え方をするというだけです』

 

その一般的を教えてもらわないと、何が違うのかわからないじゃない。

 

『どちらが正解というわけではないんです。』

 

正解が知りたい。

普通はこうなんだよ、と答えが欲しいのに教えてもらえない。

 

 

 

 

 

前回検査の最後に絵を描かされた。

こんな絵から何がわかるんだろう、と懐疑的だった。

検査だって、こんな数枚の数値だけで・・と思った。

 

 

しかし、私が描いた絵の説明を受けると、そこには私の人間性そのものが描かれていた。

こんな1枚の絵で…

 

試験中の私の言動もすべて記録され、発達障害であることを裏付けていた。

 

 

 

 

 

 

『・・・・これからも、どんどん忘れていくんですか』

 

 

 

『アップデートされる、と思ってください。

楽しくなかったとか興味がないということで覚えていないわけではない。

必ず、都度楽しんでいる過去はあります。

でも新しい環境、新しい情報が入るとそちらに全力になり、アップデートされてしまう。

全部、忘れてしまっているわけではない。

引き出しに閉まっている感じだと思ってください。

閉まっているけど、自分のタイミングで見つけたり開けたり出来ないだけです。』

 

 

 

 

 

説明がよくわからないよ

 

 

 

 

 

『・・どうですか。ここまでのお話で、思い当たることもあるでしょう、きっと』

 

 

 

 

 

色々なことが、いくつもの点が繋がっていく

 

 

 

 

 

 

 

修学旅行や卒業式など、楽しかったはずのことも何も覚えてないこと

 

皆が笑っているのに、何が面白いのか理解できなかったこと

 

頭の中に情報がありすぎて、早口で出していかないとぐちゃぐちゃになってしまうこと

 

クラス替えしたら、もう遊んでくれなくなったね、とママ友に言われたこと

 

仕事が早くて数字はどんどん取れるのに、デスクはプリント山盛りなこと

 

誰から聞いた話だったか、わからなくなってしまうこと

 

キッチリ決まっていないと不安なこと

 

皆と盛り上がるけど、どこか客観的に見てそうだった、と上司に言われたこと

 

ガスの消し忘れ、鍵かけ忘れ、探し物が半端ないこと

 

30回は行ってるキャンプ、もう場所と日付も結びつかないこと

 

何かしたつもりはないのに、夫に『俺をないがしろにしてないか?』と言われたこと

 

夫や友人と子供たちの思い出を話していても、私だけ覚えてないこと

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

『全部、これのせいにしていいんですよ。大丈夫、あなたのせいじゃないです』

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、理由があったんだ

違和感はあったんだ、もしかして・・・と

ちょっとそんな気もしてた。

 

 

 

 

 

 

それのせいにすれば何か変わるの・・・?

 

 

 

 

 

 

大事な家族のことを、覚えられないことに

かわりはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

『お母さん。たくさん写真を撮ってください。

忘れるわけじゃないんです。引き出しに閉まってあるだけなんです。

写真を見ると、きっと思い出します。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、ボケてるみたいじゃない。

 

でも

 

 

 

 

 

 

 

必死に撮ってた写真、書いてた日記

 

 

 

 

 

 

 

 

いつからか、それをするということを

忘れちゃってたな…

 

 

 

 

 

 

 

自分が『忘れる』ということを忘れちゃってる

 

ネタのオチみたいw

 

 

 

 

 

 

違う、引き出しに閉まったままアップデートされたんだ

 

 

 

 

 

 

 

今、ここに書いたことで、引き出しを見つけて開けることが出来たんだ

 

 

 

 

 

 

 

こんなカタチで終える予定じゃなかったんだけど

 

 

 

 

 

 

おかげで思い出せました。

私が、しなきゃいけないこと。

 

 

 

 

 

 

 

『おしまい』の記事まで書いてよかったです。

書きながら、言葉にしたことで、思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真はケータイで。

言葉はブログで。

 

 

 

 

 

 

 

家族の思い出、残そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ウソのような、ホントのハナシ。

コレがワタシ。

 

 

 

 

 

 

 

 

しょっちゅう言ってるけど

ごーまじ先生のおかげだね

ありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

☆だけで、大丈夫です✨

読んでくださって、ありがとう✨