それは『音読』。
小学5年生の末っ子は、それなりに音読をしてきた。
絵本の音読であったり、低学年の頃は公文の文章問題の音読であったり、中学受験塾に入ってからは宿題の文章問題の音読、寝る前の読み聞かせなど…
でも未だにつっかえる。
何度も何度もつっかえる。
意味を知らない単語はつっかえるのも仕方ないので、一緒に文章から想像したり調べたりする。
カタカナ、難しい言い回し、仕方ない。
なぜ音読が上手くできないのか、調べて観察したりもした。
一文字一文字目で追っていないか、意味の通る塊で見れているか…
接続詞、文の終わりを想像で読んでいないか(『走っていくのであった』と書いてあるのを『走っていくのだった』と読むように)…
まぁ全部当てはまるので(笑)
ちょっとずつ直していこうと頑張った時もあった。
でも目に見えた成長が感じられないような気がして『末っ子は幼いし、そのうちスラスラ読めるようになるかな』と、半ば諦め訓練のようなことはせず、普通に音読するに留まっていた。
松江塾をチラチラ覗く中で、『毎日音読の名簿』のブログに出会った。
音読の大切さをわかっている人は多くても、習慣化って難しい。
ましてや集団塾で個々に音読する時間は無い。
それを名簿でチェックしている塾があるなんて!!!
7月から入塾体験が始まり、初日の音読を録音、送信。
翌日音読のプリントを待つものの来ず、聞いてみると1週間同じものを音読、録音、送信するとのこと。
へーそうなのか、と言われるがままに音読していたが、三日目、四日目と同じものを読むうちに
『よしっ!昨日より2秒速い〜♪』
と自分のラインの音読記録をみて、喜んでいる末っ子がいる。
翌週も、その翌週も、初日は読めない漢字や意味など聞いてくるものの、2日目以降勝手に音読している末っ子。
何でもスローな彼なりに、昨日の自分に勝つために。
末っ子の音読に試行錯誤した数年間は何だったのだろう…
でもその答えはここ数日の真島先生のブログでハッキリした。
やらなくていいことを許してきた
付き添える時は音読していたが、『毎日必ず音読する』という徹底はしていなかったのも、成長を感じなかった理由のひとつ。
『この後遊びに行くから、今日は黙読でいい?』というのを見逃してきていた自分がいた。
そんな気づきがあったのは、松江塾に入ったから、自分がブログに本音を書いているから、それが間違っていようとも見てくれている人がいるから。
毎朝のルーティーンのひとつ、音読。
今朝は新しい文章2日目。
録音しながら
『ママ!ママ!これ何て読むの』とコソコソ聞いてくる末っ子。
え、録音中だよね?
しかも、それ昨日も読んだんじゃないの?
と言いたいのをグッとこらえた。
とりあえず、楽しんでやってるから、いい。