すいかのまわり道

凸凹な私の『子育てと自分育て』の記録。このブログは広告を含みます。

私の育ってきた環境~まだ抜け出せない私その1~

 

 

こんばんは。

 

松江塾ママブロガー、すいかです😊

 

 

 

長年の我が家の問題(私の問題?w)も、

ブログのおかげで解決に向かおうとしているところです。

 

 

 

 

 

気持ち晴れ晴れ~

と切り替えたいのですが!

 

 

 

 

 

まだ、あとちょっとだけ、心の奥底にずっとある闇。

 

 

 

2か月ほど、私のブログを見てくださってる、勘の良い方は『あぁ、だからこんな感じの・・』とお思いになるかもしれませんw

 

表面明るいけど、根本根暗な私の闇ブログにお付き合いください💕

 

 

 

 

 

育った環境の違いが、その後も白黒はっきり出ること

 

凸凹って実際どんなものなのか(これは十人十色同じ人はいないので私バージョン)

 

 

 

 

 

伝わればいいなと思います。

 

 

 

 

 

全部読んだら

『こいつ、まだまだ毒だな』と気づくと思いますw

 

 

 

 

自分と向き合うために。

 

 

 

変わるために。

 

 

 

 

松江塾を、子供たちより私の方がガッツリ活用させてもらいますww

 

 

 

 

 

 

 

 

9月仕事が始まり、ゆっくり見られないけれど💦

 

 

日々、松江塾ママブロガーさんたちから

笑いや感動や学びをもらってます!

 

 

皆さんの子育ても気になるところ。

 

そして松江塾を選んだママさん自身のことも気になるところ。

 

生い立ちブログ、好きです。

 

すんごい想像します。

 

この環境から強くなっていったんだ

 

この環境からの暖かい人柄なんだ

 

 

 

 

まぴこちゃん

mapikotan.hatenablog.com

 

蝸牛さん

kagyuchang.hatenablog.com

 

naoさん

naomama2023.hatenablog.com

 

オリーブちゃん

kuromaron.hatenablog.com

 

他にも生い立ちブログ、読んで気になったのもあったのに探し出せない😭

 

 

 

 

 

 

 

 

私の子供時代♬

 

 

 

 

 

 

 

私は年長の途中から幼稚園に通った、らしい。

 

 

それまでにも2度引っ越したみたいだけど、私の一番古い記憶は

皆が舞台でお遊戯会をしている姿を、入園して早々の私が舞台袖から見ている記憶。

それも、もしかしたら母から聞いたのかもしれないけど。

 

 

 

なぜ年長の途中から入園かって、

子供はなるべく手元において見るべきだ、という母が信仰していた宗教上の理由から。

 

 

 

 

 

幼稚園のお泊まり会は行かせてもらえなかったらしい。

 

 

小学校のプールは入れなかったらしい。

 

 

宗教上の理由から。

 

 

 

もう一人、同じ宗教の家庭の男の子と、プールは見学していたらしい。

 

 

 

日曜は毎週、母の集会について行っていたらしい。

 

 

 

 

 

母の宗教は親戚中から反対されていた、帰省先には当たり前に仏壇がある。

 

 

 

父もきっと反対していたんだと思う。

 

 

 

 

何歳か覚えていないが、父が母に強烈な平手打ちをし、母が飛んだ記憶があるような無いような・・想像かな。

 

 

 

 

 

 

いつごろか、母は信仰する宗教を変えた。

 

 

 

 

私はプールに入れるようにった。

 

 

 

 

しばらくしてまた母は宗教を変えた。

 

一般的によくある、宗教に。

 

 

 

 

毎週日曜日、母は私と弟を連れてそこに行った。

 

 

 

そこは、楽しかった。

 

 

同年代の子たちも結構いた。

 

子供にとっては、毎週会う習い事の友達みたいなもん。

 

 

 

 

毎年夏に、そこの皆とキャンプに行った。

 

何年生か覚えてないけど、夜中にトイレに行きたくてテントから出ると

野犬が2匹離れたところにいた。

 

 

 

怖くてトイレまで行けなかったことを、

大人になってキャンプで夜トイレに行くときに、いつも思い出しキョロキョロする。

 

 

 

 

 

小学校の頃の友達で、今でも繋がっているのはその中の1人だけ。

 

 

 

 

学校にも友達はいたが、ひとつ下のその幼なじみとよく遊んでいた。

 

 

 

 

6年のころクラスの4人組でよく放課後に学校に集まって

遊具で遊びながらしゃべった。

 

 

 

たまに、4人のうちだれか1人が呼ばれずに3人で集まるという不可解なことがあったのを覚えている。

 

私が外されるバージョンもあったのかもしれない。

 

 

 

夜に母が絵本を読んでくれている場面を覚えている。

多分、毎晩読んでくれていたと思う。

 

 

 

公園や虫取りなど、自然と戯れる田舎ののどかな生活をしていたと思う。

 

 

 

 

母は手作りにこだわっていたのか、インスタントラーメンやスナック菓子などの類は家に無かったと思う。

 

 

 

 

幼なじみの家には、スナック菓子があった。

 

ゲームもあった。

 

今でもスナック菓子のカールを見ると、幼なじみを思い出し口角が3ミリほど上がる。

 

 

 

 

 

幼なじみのお母さんはよく笑う人だった。

 

 

幼なじみが途中から不登校になったが、それでもおばちゃんは遊びに行くと笑って出迎えてくれ、楽しそうに喋っていた。

 

 

 

 

 

夏休みと冬休みは祖父母の家に帰省していた。

歳の近いいとこもたくさんいて、すごく楽しみだった。

 

 

 

夏休みはいとこたちと映画に連れてってもらえた。

母たちが用意したであろう、

個々にビニール袋に入れてもらったおやつを持って。

 

 

ゴジラだけ、覚えている。ずっとテーマ曲歌ってたから。

 

 

 

 

 

 

父の転勤で引っ越しをしたのが、私が6年生の3学期。

 

 

母には『子供のためにあと1学期間、家族だけここに残る』選択肢はそもそも無かったと思う。

 

 

 

 

 

新しい小学校、1学期間だけで楽しいわけがない。

 

 

 

田舎から越してきたので、なまりがある。

 

そのまま中学に上がり、イジメほどではないが、からかわれた。

 

 

 

 

 

弟は2年後その中学に入ってくるのだが、イジメにあっていた、らしい。

 

 

 

 

 

弟の結婚式の二次会で、弟がその話をしたらしい。

 

 

 

後にそれを知った母は『お母さん、気づいてあげられなくて』と私に言ってきた。

 

 

 

 

 

私もだったんだよ、お母さん。

 

知らないでしょう。

 

もう時効だし今更言わないけど。

 

 

 

 

 

 

なんで当時、からかわれていることを言わなかったのかは、覚えていない。

 

 

 

 

母が信仰する宗教の、新しい『自分の居場所』に必死だったのかどうかは覚えていない。

 

 

 

 

 

 

引っ越し先でも、日曜は母と弟と『母の居場所』に向かった。

自転車で30分くらいかかったんじゃないか。

 

 

 

 

そこにももちろん子供は、いる。

 

でも、年齢的にも、新参者が楽しい場所、ではなかった。

 

多分1年、2年くらいかな、私と弟は行かなくなった。

 

 

 

 

 

 

いつからか記憶にはないけど、私は反抗期に入ったらしい。

 

 

 

 

中学の間、話すことは話すが、

反抗的な態度をとっていたらしい。

 

 

 

 

ゲームを与えてもらえなかった反動からか、

こっそりゲームボーイを買って、夜にこそこそ布団の中でやったような気がする。

 

 

 

 

 

高校生のときはスーパーファミコン持ってたから、多分中学生の時だなぁ。

 

 

 

 

 

 

高校2年になるタイミングで、父の仕事でまた引っ越した。

 

幼稚園前に住んでいた自宅に戻るので、これが最後の引っ越しだ。

 

 

 

 

 

その引越しは、1年前からわかっていたので、1年間しか通わない高校は『制服』で選んだ。

母は田舎の人なので、塾なんてよくわかっていなかったと思う。

 

高校受験の塾は、夏期講習と冬期講習だけ受講したらしい。

 

 

 

 

 

高1の秋あたりから、バイトをはじめた。

 

 

 

 

そのバイト先に好きな人が出来て、

引っ越したくないと子供ながらに1人残る方法を色々考えた。

 

 

 

 

 

手先が器用だったので、美容師になってどこか住み込みで…なんて考えるくらいに幼かった。

 

 

 

 

 

そんな悩みを相談したのは、幼なじみのおばちゃんだった。

 

 

公衆電話から、遠くに住むおばちゃんに電話した。

 

 

 

 

何をどう言われたかは覚えていない。

多分うんうんと聞いてくれて終わったと思う。

 

 

 

 

電話をしながら、高校生が1人で残るなんてあり得ないことは、お互いわかっていたと思う。

 

 

 

 

なぜ当時、母に話さなかったのかは、わからない。

 

 

 

 

 

イトメンバーが開いてくれた送別会で

『〇〇さんみたいな素敵な人を向こうで見つけますっ』って皆の前で言ったことは覚えてる。

 

 

 

 

おおぉぉぉ~!!!って仲間たちが沸き上がる中

『いいの?さだまさしそっくりじゃん』って友達がコソっと言ってきた。

 

『禿げてないだけでさw』

 

 

 

 

 

 

 

高校二年生に引っ越した先の高校で、今度は『都会から来た子』と、しばらく他のクラスから見物人が来た。

 

 

 

 

皆中学からそのまま上がってくる、地元の高校。

 

 

アウェイだったけど、皆優しかった。長く続く友達もできた。

 

 

 

 

母は新しい『自分の居場所』を見つけ、毎週通い続けた。

 

数年後だったか、父も『母の居場所』にたまに通い始めた。

 

 

 

 

 

父はすごく早口で、ベラベラ喋るタイプではないが優しく、父が怒るのは反抗する私に対し母が助けを求めた時くらいだった。

 

 

 

小学生の時、臭いと私が言ったことでタバコを辞めてくれたらしい。

 

 

星がたくさんついたタバコだったことを覚えている。

 

セブンスターかな。

 

 

 

 

子育てにはあまり関心がなく、ゴルフや釣りなど自分の趣味に興じ、

旅行好きだったので、年に一度連れて行ってくれたらしい。

 

 

 

父側の実家がにぎやかで適当な家だったので、父もいい意味で適当で

母がほとんどの主導権を握り、それに異を唱えはしなかった。

 

 

 

 

 

高校3年生になり、高校に弟が入ってきた。

 

 

 

弟は勉強が出来た。

 

 

地元高校から、塾に通わず国立大学に入り、院まで通った。

学会発表で教授に付いて、海外にも行っていた。

 

 

 

 

『都会から来た子』の私は、弟が入ってきたことで『あの◯◯君のお姉ちゃん』になった。

 

 

 

 

別段仲が悪いことは無い、普通に喋るきょうだいだった。

 

兄弟格差に何か思ったことはないと思う。

 

私も自慢の弟だったし、成人してからは、学生の弟と買い物にいったりもした。

 

 

 

 

 

高校では、9人くらいで空き教室でお弁当を食べていた風景、

 

仲のいい友達数人と、駅ビルの屋上で走り回った風景、

 

犬の散歩のときに通る空き地に家が建ちはじめ、通る度にだんだん出来上がっていくのかぁ、と思っていたらある日突然家が完成していたこと、

 

を覚えてる。

 

 

 

 

 

私は高3で、センター受験クラスに入ったものの、

たまたま新聞広告で見つけたのか何かわすれたが、とある専門学校の記事に興味を惹かれた。

 

 

 

 

勝手に予約し見学に行き、楽しそうな雰囲気にさらに魅了されて立て続けに3回ほど、見学に行ったと思う。

 

 

 

 

 

『大学には行かない。専門学校に行きたい』

 

 

 

 

 

もちろん親は反対した。

 

両親ともそれなりの大学を出ている。

 

 

担任の先生交えて話もしたが私が頑として譲らなかったので、親が折れてくれたらしい。

今思うと、大学受験は受からなかったんじゃないかなと思う。

 

 

 

 

 

晴れて専門学校に入学し、それはそれは楽しい学校生活を送った。

 

専門学校時代の記憶は両手で数えるほどは、ある。

 

 

 

 

 

 

どこにでもある、ごく一般的な家庭で育ててもらった。

優しい両親だ。

 

 

 

小、中、高、専門学校それぞれに今でも大切な友人がいる。

 

 

 

 

普通の、幸せな子供時代。

 

 

 

 

 

 

 

 

私のここまでの記憶は、

これとあと10個、20個…は無いかな

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶は、日々新しい情報が入るごとに、古い情報が押し出されていくものだと思っていた。

 

皆、よく覚えてるなぁ、頭いぃなぁ、と思っていた。

 

 

 

 

 

 

でも、どうやら違うらしい。

 

 

 

 

 

脳に引き出しが無数にあり、必要に応じて取り出せる。

 

 

でも、私の場合は引き出しにしまってはあるが、どれかわからない、らしい。

 

 

 

 

 

『忘れるということ?記憶からなくなるということ?』

 

 

 

 

 

そうではなく、引き出しに入っているけど、取り出せない、らしい。

 

 

 

 

 

そんな分析はどっちでもいい、覚えてないもんは覚えてない。

 

 

 

 

 

そんな、私の子供時代。