今日の真島先生のブログに共感。 ↓
小さなころから絵本を読み聞かせ、読書を好んできた兄姉は、中学受験塾に入り毎日国語の長文に触れることは苦ではありませんでした。
なんなら
『今日物語?論説?物語か、やった!』とまず『読みたい』という気持ちが働く。
末っ子は、国語が壊滅的だったのが、受験をやめた最大の要因。
漢字?
毎日書いてきた
語彙?
毎日数語覚えて例文も読んできた
音読?
読解問題は一緒に音読してきた
読書?
活字見るくらいなら動画がいい派
2,3学年下の本なら・・
読み聞かせ?
家事に追われているうちにいつの間にか寝てた・・
受験勉強をする兄姉の傍ら、それなりのことはやってきました。
『勉強』として。
もちろんそれらも大事。
でも本質的な国語力ってやはりここが大きいと思います。
『家族との会話』
圧倒的な量を占めますもんね。
パパママと観るちょっと背伸びした映画だったり
きょうだいとあーだこーだ言いながら観るテレビドラマや漫画・・
読み聞かせの量も読書量も、もちろん少ないけれど
思い返せばだいたい蚊帳の外だったなぁ、3、4年生くらいまで。
何歳になっても我が家では一番小さい末っ子で、皆の癒し。
大きな赤ちゃんだったからなぁ
・・いや、親が大きな赤ちゃん扱いしてしまったからか。
2+2+1の5人家族
ではなく
2+3の5人家族
そもそもこういう発想自体が幼さを助長してしまっているんでしょうね。
でも
やっぱり今夜もママが横で寝たい!!